10代最後の一人旅(前編)

10代最後に一人旅したいな、と前々から思っていたが、地元に帰省する前に行くしかないなと思い立ったのはほんの昨日のことである。

早起きして渋谷で18きっぷを購入して大船で乗り換え、居眠りしながら東海道本線に乗っている最中、急にトイレに行きたくなって車内のトイレに入ったところ、悲しいかなトイレットペーパーがきれていた。五分ほど耐えればどうせ熱海で乗り換えなので一旦降りてしまおうと思い、熱海駅で御手洗を済ます。
せっかくの18きっぷ乗り放題なので熱海観光をしてみようと駅を出ると目の前に足湯がある。靴下を脱いで入ってみたがかなり温度が高い。しかし少し経てば慣れるもので、これから酷使するであろう足を温めた。
足湯を出て地図を見れば近くに海水浴場があるらしく、水着美女でも拝めるだろうかとやましい気持ちで歩き出した。裏道やら階段やらをくねくねと歩くのだが、夏の強い日差しは曇り空をいとも容易く貫通して頭をジリジリと焼くので汗が止まらない。いざ到着すると殆どがちびっ子を連れた親子連れであった。ビーチサッカーをする陽キャな男達はいたが、若い女性はかなり少ない。大抵は湘南にいるのだろう。カナヅチ男が一人で海水浴をするのもおかしな話であるしそもそも危険なので、軽く見物しただけで駅に戻ることにした。
流石に熱海に来て足湯だけというのも悲しいので、商店街で温泉まんじゅうを買って食べた。暑さで疲れた身体にこしあんの甘味がよく染みた。
さて、汗でぐしゃぐしゃになったシャツを着替えたら再び電車で移動である。しかし森見登美彦の四畳半神話体系を読んでいたら三島での乗り換えをうっかり失念してしまったので、34℃の炎天下、沼津の寂れた商店街アーケードをふらふらと歩く羽目になった。少しばかり腹が減ったとはいえ、それ以上に暑いので、ラーメンだの中華料理だのを食ってまた汗をかくというのも気が乗らない。当てもなく彷徨っていると向こうにかき氷の暖簾が見える。ああいう店なら何か昼飯も食えるのではないか、と思って近づいて店の前でメニューを眺めていると、中から店主のおばさんが「いらっしゃいませ」などと言ってくるものだからその店に入らざるを得なくなった。
やけに家庭的なその店、本業は喫茶店らしく軽食は炒飯とスパゲティの二択しかないらしいので炒飯を注文した。暑いので他に客もおらず、高校野球の地区予選を見て暇を潰していたらしく、久し振りの若い客に喜んでいるようだった。顔を拭けと言って冷たいおしぼりを寄越してきたのでありがたく汗を拭う。何やら冷蔵庫から取り出したあと電子レンジの操作音が聴こえてくるので、これは本格炒飯は望めないなと諦めつつ扇子をあおいで涼んでいると、サービスで柴漬けをくれた。塩分補給にうってつけである。さて届いたのはうちの冷凍庫にも見覚えのあるエビピラフ、柴漬けとの相性も抜群でメーカー保証の当然のおいしさである。
エビピラフを頬張りながら止まらないおばさんの話に相槌を打つ。やれこの暑さじゃあ出かける人もありゃしないから客は来ない、土日の夏祭りなら客は来るだろうが40年も住んでりゃ花火の音が煩くて仕方ない、それにしてもこの暑さじゃ年寄りはエアコンケチって死にかけるから大変だ、私の知り合いの婆さんは床屋の夫婦に預かってもらってたらちょっと客が入って忙しくなった間に死んじゃったから商売屋に預けるのはよくない、ところでそのスマホ?っての、"グルグル"で調べたらなんでも出てくるんだろ、前にテレビの取材を受けた時のことがそっくりそのまま書いてあるらしくて驚きだ、住所も電話番号がわかればどこでも行けるって凄い時代だなあ、私は機械音痴だからガラケーで充分、とこんな風にまあ話が止まらない。
ひと段落ついたところで沼津のオススメの場所を尋ねたら深海水族館なるものがあるというので行ってみることにした。紙製の団扇を一つ譲ってもらい、帰り際に相田みつをの詩で「たった一度の出逢いが云々」というのを紹介されて、一期一会ってのは実際その通りだなと思った。炒飯代は100円まけてくれた。
バスに乗ればいいとおばさんに言われたので駅前のバス停に向かい、どれが水族館行きなのかと調べている最中にお目当てのバスの扉が閉まって出発してしまった。炎天下で30分待たされるのはまっぴら御免なので駅の2階のベンチで時間を潰した。どうも今日は乗り換えの運が無い。
時間になったのでバスに乗って沼津港で降り、道に迷った末に沼津深海水族館に辿り着いた。受付で券を買ってウニやらヌタウナギやらチンアナゴやらなかなかお目にかかれない水生生物を眺めていた。ヒカリキンメダイの発光によるプラネタリウムに入った時に先客でカップルがおり、自分も隣に誰か女の子がいればいいなと思ったが、前の日に思い立って突然静岡に旅行に来るような輩に付き合ってくれる程フットワークの軽い女友達を私は持っていない。
私の非リア事情はおいといて、シーラカンスの剥製やら魚拓やらを眺めて改めてそのデカさに感嘆した。現在では絶滅寸前であるため商業目的の国際取引が禁止されているらしい。シーラカンスが釣れるどうぶつの森はいったい何なんだ。最後に記念スタンプを押すところがあったので、細長い紙片に押して二つ折りにし、四畳半神話体系に栞がわりに挟んでおいた。
そういえば先刻通り過ぎた土産屋で面白いTシャツを売っているのを見かけたなと思い出してその土産屋へ行った。アディダスを文字った鯵のTシャツである。変なTシャツ好きとして見過ごすわけにはいかないので買ってしまった。店仕舞いも近かったようで、「最後だから」と冷たい茶をサービスしてくれた。熱中症にならないでね、と微笑む店の人の優しさに心打たれた。沼津の人柄は基本的に温かいもの、という刷り込まれてしまった。
コンビニの休憩スペースで一息ついたあと、静岡市周辺ならいくらでもネカフェで泊まれるだろうと思って移動したが、思った以上に身体が疲れていることに気づき、このまま座って寝るなどしたら体調を崩しかねないと思ったのでビジネスホテルを予約することにした。一泊4000円、明後日に夜勤バイトが入っていることを考えると安いものである。
さて静岡出身の友人にオススメされたので炭焼きさわやかにハンバーグを食べにきた。40分ほど待たされたが、ジュシーで弾力のあるげんこつハンバーグは待ち時間に値するだけの価値があったと思う。オニオンソースとの相性も抜群であった。熱々なので口の中を火傷した。
飯を食い本屋で時間を潰し、ホテルへとやってきた。個室ではなく仕切りがあるだけのキャビンルームではあるが、広さや機能性は十分である。シャワールームやトイレも清潔であった。ただし電波が非常に悪い。これには辟易した。
明日は朝早くから動物園に行く予定なので、とっとと寝ることにする。おやすみなさい。