莫迦がアメリカに行って思ったこと

 タイトルに「莫迦」とあるが、別に僕は自分で自分の事を「バカ」だとは思っていない。曲がりなりにも日本の最高学府で授業についていけているし、飲み会で分別わきまえず飲み散らかして酔い潰れるようなことも無いし、Instagramに炎上動画を上げるような真似もしていない。

 そういった点で言えば、僕は「バカ」ではないと思っている。


 しかし、大抵の方はご存知だと思うが、かの夏目漱石は「こころ」の中で、登場人物にこのように言わしめている。




「精神的に向上心のない者はばかだ」




 高校時代に国語の教科書でこの作品を読み、この言葉を聞いた時には何も感じなかった。学校の勉強に対して向上心を抱いていたから。自分は向上心のない「莫迦」ではないという自信を持っていたから。




 さて、僕は現在ボストンにいる。人生初海外。いぇい。

 なぜアメリカにいるかというと、UT-MIT International Lectureという、東京大学工学部とマサチューセッツ工科大学の国際交流講義に(農学部生でありながら、ちゃっかり)参加しているからである。

 この1週間で、友人達とニューヨークを観光したり、ピザ食べたり、ハーバード大学のキャンパス内を見学したり、ピザ食べたり、MITの講義に参加してショートプレゼンの発表をしたり、ピザ食べたりしているというわけなのだが、それらの体験を通して非常に痛感したことがあるのだ。



 僕は「莫迦」だ。



 兎に角、英語が聞き取れない。


 講義も、見学の解説も、昼御飯の注文も、電車内のアナウンスも、ホテルの宿泊客との会話も。

 MITの見学に来たはずなのに、解説がわからないから目の前にある機械も設備もまったく理解できていない。トイレがどこか聞いただけなのにWhの発音が下手すぎて聞き取ってもらえない。話しかけられて、断片的に聞き取れる単語から推測して答えたらトンチンカンだったらしく「Ah..., OK」と返され以後話しかけられない。「Any question?」と書かれてもそもそも何言ってるかわからないから質問もクソもない。初日の方が元気と根拠のない自信があったからまだマシだった。日に日に英語が認識できなくなっていく。英語が嫌いになっていく。


 ここで一般的な東大生なら、「自分は英語が苦手なんだな、勉強しないとまずいな」と焦燥感を覚え始めるだろう(実際に勉強するかどうかはさておき)。僕だってこの間まではそうだった。というかそういう意識があったからこの特別講義に申し込んだはずなのに。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。

「もう英語に関わらずに生きていきたい。一生日本語に囲まれて生きていこう」

 そんな決心を固めてしまった自分がいる。



 僕には「英語に対する向上心」が無いのかもしれない。



 周りの皆が気力に溢れていく中、僕がズルズルと沈んでいくのも情けないので、せめて理由くらいは考察することにした。こんなことしている暇があるなら勉強しろ、という指摘は置いておくとして、とりあえず二つほど原因として思い当たるものがあった。


 第一に、おそらく昔からなのだが、僕は成功体験からしか努力をしようとしない。所謂「悔しさをバネに努力する」ということをした記憶が殆どない。卓球の試合で負けても別にそんなに悔しがらない。告白して断られても自分の容姿を改善しようとしない。

 それなら何故、あんなに勉強に打ち込めていたのか?

 自分は勉強が人よりできるという自信が、周囲からの称賛が、返却された答案用紙の丸の数が、成績表の数字が、他の誰よりも勉強(試験の点数)では負けないという優越感が、僕を支えていただけ。そこにあったのは快楽を求める感情だけで、向上心なんて大それたものは存在しなかったのだろう。井の中の蛙で高校までイキり散らしていた僕はそのことを理解していなかった。成功体験に基づく自信、それに基づく努力。だから平気だったんだ、努力が結果に直結する自信があったから。


 でも、英語は違う。受験英語ならどうにか対策が取れたかもしれないが、日常会話にせよアカデミックなものにせよ、一朝一夕で覚えられるものではないし、楽しくないし、もともと「英語は苦手」というネガティブな感情が根底にあるから成功体験を元にモチベーションを上げることもできず、渡米する前になんの努力もせず、それだから当然こっちに来ても何も理解できず、積み上げてきたものが無いから成長も覚醒もせず、ただただ英語嫌いが悪化していくだけ。



 僕は、成功体験の無いものに対して向上心を持たない「莫迦」なのだ。




 第二に考えたこと。先程ちらっと述べたが、なぜ英語の勉強が楽しくないのか。その理由は成功体験の有無の他にもあると思う。


 多分僕は、「直接の目的達成に対して熱意を持つことはあっても、手段の技術向上に対する熱意が無い」。楽しくないから。

 例えば、絵を描くのは好きだ。楽しいから。自分のイメージを形にするのが楽しいから。

 でも、画力を向上させるための努力はしたいとは思わない。模写もデッサンもしていない。構図や身体の描き方を学ぶこともしていない(英語とちがって、しなきゃまずいよなぁ位は思うけど)。

 要するに、「絵を描くこと」という行為は好きだが、「絵を描くという目的のために、必要なスキルを高めること」については興味が薄い。目的に比べて楽しくないから。

 プログラミングも同じ。あくまで手段でしかないから、深く学ぼうと思えない。ちょっと齧って辞めてしまった。楽しくなかったから。


 なら英語はどうだ?英語は言語だ、つまりコミュニケーションのための手段、ツール。そもそもコミュニケーションを取るという目的に対する意識も高くないのに、どうして手段に過ぎない英語を向上させようと思うだろうか?どうして英語を学ぶことを楽しいと思えるだろうか?



 結局、僕は楽しくないと駄目みたいだ。


 僕は、楽しくない「目的達成のための手段」に対する向上心が無い「莫迦」なのだ。




 UT-MITは凄く良い講義だと思う。工学部生の新しい友達ができたし、プレゼンを作る中で色々学べたし、アメリカに行く良い機会だったし、飛行機代と宿代はある程度援助してもらえたし。人によっては、MITを実際に見て非常に影響を受けることができると思う。留学の決意を固める奴もいたし。

 でも、僕は敢えてひどい感想を言おう。



 英弱は来るな。英語が聞き取れない奴はこの講義を受けるな。お前にこの講義は無意義だ。

 お前はこのMIT訪問から何も学べない。ただ「ふーん、なるほど」ってわかってないのに頷いて終わりだ。金の無駄だ。来るな。

 日本国内で研究室見学なり18きっぷ旅行なりしてろ。税金でアメリカに来るな。来るにしても観光旅行で自費で来い。


 あとコミュ障もあんまり来ない方がいい。そんなに面識がない野郎8人で相部屋になるから。寝る時でさえ一人になれないから。本当にレストルームでしか一人になれないから。かといって自分から人と関わらない奴は居場所が無いぞ。




 僕はもう疲れた。一刻も早く日本に帰って、日本語のメニューを見て、日本語で注文し、松屋牛めしを食べたい。

 もう一年くらいは英語と関わりたくない、少なくとも耳にしたくはない。

 あと人と関わりたくない。一人で部屋に籠るか国内プチ旅行に行くかしたい。関わるにしても親しい友人がいい。


 本当に、精神的に向上心のない「莫迦」な英弱コミュ障にとっては、地獄でしかない訪問だ。殆ど何も学べない、ただただ苦痛だ。帰りたい。国際的な視点を手に入れるための講義なのに、皮肉なことに「留学とかはせずに日本で一生暮らそう」という決意をしてしまった。そういう割り切りができたという意味では、有意義だったのかもしれないけど。

 通信量無制限のSIMカード買っといて良かった。こうやってインターネットで日本語に逃げられるから。

 頼む、日本語で頼む。英語って何だよ。誰だよバベルの塔を建てた奴。一生恨んでやる。高い建物くらいで言語を分断させる神様なんて糞食らえだ。


 後ろの方で手持ち無沙汰そうに何もわからない話を頷きながら聞いていたら、引率の先生に「話どう?」と聞かれて、「凄いですよね」としか答えられなかったのが、本当に情けなかった。

 向上心が無いくせに、どうしてこんな長ったらしい文章をブログに書いているんだろう。きっとあれだ、誰かの「いいね」が欲しいんだ、些細な成功体験に支えられてるだけ。